有福温泉の歴史 ~発見 後編~
前回のまとめ
前回は有福温泉が発見された650年頃の様子を調べました。今回は、実際にどのようにして有福温泉が発見されたのかについて調べてみましょう。
前回も述べたように、有福温泉は、孝徳天皇の治世である白雉年間(650年~655年)頃に法道上人により発見されたというのが通説になっています。
実際、有福温泉の中央に位置する御前湯の看板にも「西暦651年に起源をもつ美肌の湯」と表記されています。
その時代については前回触れているため省略しますが、仏教文化が栄えた頃、大化の改新後の日本が舞台となります。
では、法道上人とはどのような人物だったのでしょうか。
法道上人とは
有福温泉を発見したとされる法道上人。法道上人という名前から、なんとなく仏教の偉い人なんだろうなと感じるかと思います。正解です。法道上人は、天竺の霊鷲山(インド)の仙人とされ、中国、朝鮮を経由して、播磨国、今の兵庫県に渡ったとされる伝説上の人物です。
鉄の空鉢を持っていたことから、空鉢仙人とも呼ばれ、陰陽術にも精通していたようで、資料によっては、天竺から飛んで来て播磨に舞い降りたという記載もありました。
法道上人は、孝徳天皇の勅願により650年に開基された法華山の一乗寺を中心に活動していたとされます。これは一説によると、治療の知識もあった法道上人が孝徳天皇の病を癒したことから信頼を経たために多くの開基開山を許されたとされており、この他にも兵庫県内をはじめ、愛媛や大分などにも彼が開基開山した縁の寺院が多く存在します。
播磨を中心しながらも、諸国を巡っていたとされ、有福温泉もその際に発見されたものであるようです。
この法道上人が活躍し、有福温泉を発見した時代は前回の記事で述べたとおりです。まさに仏教の伝来後の日本、玄奘三蔵が旅をしたという以降の時代、仏教文化の隆盛期という時代背景に沿った活躍であると考えられます。
ちなみに上人と表記するか、仙人と表記するかは諸説あるようですが、ここでは、上人と表記しています。
有福温泉の発見
では、有福温泉はどのように発見されたのか、まずは、前出の御前湯にある看板から見てみましょう。これは有福温泉薬師堂由来記を元に昭和56年7月につつじ会が製作し、平成23年5月に湯町自治会が改製したものです。
これによると、孝徳天皇の時代である白雉年間(650年頃)に、天笠から入朝した法道上人が諸国を廻っている際に、この谷にて湧出する温泉を発見したとのことです。法道上人は自分が持っていた仏と自分で彫った石体薬師仏をその場に安置し、この地を去ったそうです。里人たちが試しに湯浴みしてみると、心身爽快で、病などにも大変よく効いたとされています。
また、別の資料では、湯谷に来られた法道上人が、持ち歩いていた金堂観音菩薩像と自彫の石の薬師如来を祀り、岩の上で修業をしていると、岩の間から温泉が湧き出てきたとあります。地元の人が試しに湯浴みしてみると、灸針、薬草などあらゆる治療を施しても治らなかった病が癒えたそうです。
いずれにしても、法道上人が温泉を発見したこと、持参していた仏像と自彫の仏像があったこと、非常に効能があるお湯であったことがわかります。
有福温泉は由緒ある癒しの湯
有福温泉の発見について見てきましたが、歴史が古く、優れた効能を持つ温泉であることがおわかり頂けたのではないでしょうか。有福温泉は、さすがに当時の面影を残しているとは言えませんが、それでも当時のままのお湯に浸かることができます。なぜなら、有福温泉のお湯は、加水も過熱もしていない天然かけ流しのお湯だからです。有福温泉では、当時と変わらず今も、人々を癒し続けるお湯が流れています。
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