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有福温泉の歴史 ~発見 前編~

有福温泉の歴史 ~発見 前編~

有福温泉のはじまり

有福温泉の歴史は古く、多くの書物では今より1350年ほど前の開湯であるとされています。孝徳天皇の治世である白雉年間(650年~655年)頃に法道上人により発見されたというのが通説になっていることから、2000年前後の書物などでは1350年前、近年の書物などでは1360年前と表記されているようです。

 

1350年前の日本

1350年前、あるいは650年頃と聞いても、私はいつの頃かわからないので、調べてみました。あ、でも孝徳天皇と聞いてピンとくる方もいらっしゃるかもしれませんね。第36代の天皇である孝徳天皇の治世はあることで有名なんです。皆さんも一度は耳にしたことのある言葉でしょう。そう645年、大化の改新。中臣鎌足とか蘇我入鹿とか中大兄皇子とか、聞いたことあるのではないでしょうか。

 

大化の改新

聖徳太子、推古天皇の没後、当時の有力者を廃し、政治を恣意にしていたのが蘇我蝦夷とその子、蘇我入鹿だったそうです。645年、この蘇我氏を中大兄皇子と中臣鎌足が滅ぼし、当時の天皇である皇極天皇が弟の軽皇子に譲位し、孝徳天皇が即位します。孝徳天皇は日本で最初の元号である『大化』を制定しました。これが大化の改新です。

正直、有福温泉の歴史を調べていただけのに、なぜ大化の改新を語っていたのかわかりません。まあでも、歴史を振り返る時、その時代の情勢を知ることは大事かと思いますので、お付き合いください。

ちなみに、この蘇我氏が廃した有力者には、聖徳太子の子である山背大兄王一族も含まれていたとされます。ちょっと振り返っただけで、聖徳太子までつながってしまいました。こうして、「つながる」というのが歴史の面白いところですね。

 

飛鳥時代

ちなみに時代でいうと飛鳥時代に分類されます。飛鳥時代というと、ちょうど仏教が伝来した後の日本で、飛鳥寺や法隆寺などの仏教文化が栄えた時代です。ちょっと前まで古墳をつくっていたころで、この後に平城京に遷都していくころのお話です。そう聞くと、随分昔のように感じますね。

 

その頃の世界

その頃の世界は、いわゆる中世の前期に分類されます。簡単に言いますと、イスラムが隆盛を誇っており、周辺のペルシアや東ローマ帝国と争っていた頃になります。650年頃にはちょうどササン朝ペルシアが滅亡したころとされます。

有名どころとしては、玄奘三蔵(三蔵法師のモデルの方ですね)がインドへの仏教の経典を求める旅から中国、当時の唐に戻ったのが645年とされています。

 

次回へつづく

有福温泉が発見された頃の歴史を振り返ってみましたが、時代背景は掴めたのではないでしょうか。最近では、元号が令和に変わったことが話題になりましたが、そもそもの日本最初の元号が制定された頃に有福温泉は発見されたのです。なんとなく、有福温泉は歴史のある場所なんだなと感じて頂ければ幸いです。

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